2017/02/15
今回は、今どきの青年たちを理解するためのキーワードの一つ、「アンヘドニア」を取りあげてみたいと思います。
アンヘドニアというのは「何も楽しめない」という感じ、あるいは快(へドン)を感じる可能性がそこなわれる、すなわち快感があるはずの状況でもそれを体験しない状態をさしています。平たく言えば「何しても面白くねえな」という感じとでもいいましょうか、とにかく抑うつと似て非なる、漠然として捉えがたい心理現象といえます。
アンヘドニアには大きく、身体感覚をめぐるもの(physical anhedonia)と対人関係に関わるもの(social anhedonia)とがありますが、前者は、たとえば「セックスはするにはするけど、おそらくは他の人が感じているほど気持ちよいと感じたことがない」、後者は「人にどう反応していいかわからない」「友人と交際していても、いつも楽しみよりもわずらわしさの方が勝ってしまう」といった訴えとして表現されます。そうなると体験の深みを失って、人間関係にも興味が持てなくなってしまうのです。
シェーマに示すように、快感がなければ必然的に何にも価値を見出せなくなり、何かを目指すという意図もなくなってしまいます。今そのような、つかみどころのない青年たちが潜在的なひろがりをみせているのです。困ることは、アンヘドニアには「抑うつ」や「離人症」のように疎隔感や違和感がともなわれないため、それを治そうという気持ちにもなかなかなれないことです。
アンヘドニアに陥ってしまうと、物語が砂の城のように崩れてしまい、どうにも一つのビジョン(物語)に結実していきません。そして意欲が失せて、どうしても元気スイッチが入らない、どこにもコミットできない、しかもコミットできないことを悩むのではなく、ただ自らコミットしなくなる。何事にも取り組もうとしない彼らはフラットな感じ、あるいはどこか「ぬけぬけとした印象」を周囲に与えることもあります。
じつはアンヘドニックな若者には特有のナイーブさがあるのですが、興味をもたない、価値をめざさない彼らにアプローチするのは簡単なことではありません。こういった現象が気になるという方は、拙書(2017年3月出版)「幻想としての<私>アスペルガー的人間の時代」(勁草書房)にもあたってみてください。手がかりを見つけることができるはずです。